【礼拝メッセージ】十二使徒の選出-キリストの恵みの証人達-

新約聖書、マタイ福音書10章1節〜4節より

十二使徒の選出-神の恵みの証人達-

<序>

今日は、12使徒の選出の御言葉から、キリストの弟子達に込められたイエス様の御心を学びます。具体的には、その弟子達の救われ方にも関係しますし、その後の生き方にも関係します。一言で言いますと、挫折をするような弱さや罪深さを抱えながら、キリスト者として生きて行けるのかという私達自身の問題に深く関わる点を、イエス様の選び方から学びたいと願います。そこに、福音、良き知らせも見えて来るからです。

1、<十二使徒について-新しく回復されたイスラエル、贖われた12部族としての再生した弟子団、信仰者の共同体を指す>

十二使徒の「十二」は、旧約聖書のイスラエル12部族の数と同じです。かつてのイスラエルの使命は、神様の栄光を現わすことでした。しかし、イスラエルは、真の命と力の起源である神様から、離れてしまいました。かつて、モーセが神様と民との仲介者であったのと同じように、いや、真の仲保者として、イエス様による新しいイスラエルの再生が、新約時代に至ってなされるのです。

「使徒」とは、神様から、使命を帯びて、遣わされる人々を意味します。使徒以降の教会は、全て、キリストの権威に生かされ、召され、遣わされるのです「使徒達や預言者達という土台の上に建てられていて、キリスト・イエスがその要の石です-エペソ2章20節」。

キリストを土台として生きるのみ。キリストに召され、遣わされる者<使徒の原点はここにある→「長老」達も同じ。人の自薦、他薦ではなく、究極的には、主に立てられることが必要(エペソ4章11節)。しかし、主から召されると同時に、絶えず、主に堅く結び付く使徒的な教えと生き方に連なることが大切です。<かしらなる主>と<からだである使徒的教会>は一体だからです。

2<主の選び方の意味-使徒の個性や過去や性格は、主に贖われて、遣わされて再生した>

①12人を二人一組ずつ、4人、3グループに分けている。→主の権威の下に、秩序と協力の下に動いています。召されて生きる<使徒の権威・教会の権威の基礎はここから!>。

②弟子達の顔ぶれを見ると、真逆の生き方をしたパターンが含まれています。それは、取税人マタイと熱心党員シモンの場合です。<言わば、「“ローマの犬”と」「“国粋主義者”」!>

マタイは、ローマ帝国の徴税に仕え、熱心党員は、皇帝への納税に反対し、反乱を起こしたとすら伝えられている。人間的に言えば、衝突間違いなし。しかし、主に贖われた者として、生きる時に、真に一人の主人キリストに召され、遣わされる者となる。人の個性も過去も性質も、全て、主に贖われて、再生して、清められて、遣わされて、初めて、主の御用に、用立てていただけるのです。

<キリストによって神に結び合わされて一つの体となり、新たに造り変えられる弟子達>

マタイ:キリストの憐れみに打たれた。シモンも、もし、政治的な意味でのメシアのみを望んでいたなら、挫折しただろう。共に、キリストの救いのみによって、過去と人間的自我が贖われ、造り変えられる必要があった。正確には、この再生は、主の十字架と復活、聖霊降臨の後に実現した。

③最後に、各福音書のリストに共通した書き方がある。それは、ペテロが筆頭で、イスカリオテのユダが最後である点である。なぜ、主は裏切り者のユダを含めているのか?

3、<キリストに出会い、召される恵みに応える真剣さ-絶えず、主の恵みに立ち返れ>

使徒の権威は絶えず、キリストに由来し、キリストの救いに立ち返るところにあります。

ペテロは悔い改め、キリストに信頼し、ユダは、後悔し、己の罪の中に留まりました。

選ばれ、召され、愛されて生きる<赦される人生>と<己を赦さず、キリストにある赦しを知らずに生きる自己完結型の人生>とは決定的に違う結果となります。ペテロは、主に真剣に立ち返り、ユダは、己の道を貫き通した。キリストの十字架にその<意志>を貫かれ、主の甦りにこそ、希望を見出さない限り、その人の意志は再生・生まれ変わってはいない、罪人の自我です。歴史に名を遺す真の使徒達の生き方は、<キリストの福音>に貫かれていました。この福音からこそ、全世界に新しいイスラエルの希望、罪ある世に、主に赦され、希望に生かされる生き方が告げ知らされるのです。ペテロの挫折と立ち直りの姿は、絶えず、主の恵みに生かされ、<福音>の恵みに立ち返る罪赦され、主に贖われて再び、遣わされる<使徒的生き方>のモデルなのです。

主イエス様は、今日も使徒団の結成の記事、召しと派遣の御言葉を通して、私達にも語りかけておられます。わたしは、あなたも、救い、罪から贖い、神の栄光を現わす器として、用いたい。真の希望ある人生の土台に根差して、自らと世界の救いの福音を喜び、新たに造り変えられる人生を与えたい!と。イエス様は、今日の御言葉を通して、私達を、新しいイスラエルの家族の中に、招いて、希望の中に生きよと、と遣わして下さいます。この希望を下さった神様に栄光を帰しましょう。