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旧約聖書、出エジプト記2章1節〜25節
モーセの誕生(2:1-10)
- モーセ以外の名前が出てこない
- パピルスの「かご」=ノアの「方舟」と同じヘブル語の言葉
- 「モーセ」という名前
- 神様の不思議な導き・御業によるモーセの誕生
モーセの逃亡(2:11-22)
- 「同胞(v.11)」は直訳すると「兄弟」 → モーセのユダヤ人としての自覚
- 「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。(v.14)」という皮肉
- ファラオがモーセを殺そうとする → モーセはミディヤンの地に逃れる
- モーセを「エジプト人」として認識するレウエルの娘たち(v.19):もう一つの皮肉
- この出来事についてのステパノの説教(使徒7:17-29)
- モーセの行動は正当なものだが、それを他のユダヤ人が「理解しなかった」という評価
- モーセは「主の召し」に従って民の救い主とならなければならなかった。
- モーセ自身の判断でそうしようとしても理解が得られず、3章にある通り主の召しが必要であった
- イエス・キリストは完全に父なる神の御心に従うことで、メシヤとしての働きを全うされた
みこころに留められる神(2:23-25)
- 「民の嘆きを聞く」「契約を思い起こす」「ご覧になる」「みこころを留める(知る)」主
- 実際にご自身の民のためにこの世界とお関わりになって下さる神の姿
- 契約については前回1章で見たとおり(cf. 創世記17:1-8; 46:1-4)
- このように契約に基づいてご自身の民と関わって下さる神様が聖書の神である
適用
- 神様がすべてを働かせて、不思議な形で御心を行われる
- 自分の判断ではなく、神様の導きに従うかどうか
- 私達を知り、関わってくださる神様