【礼拝メッセージ】永遠の命の架け橋

礼拝メッセージ音声

聖書箇所:ルカ福音書16章19節から31節

1)二人の対照的な人物描写から、主イエスが描き出す異なる生き方と結末

  • 金持ち<名がなく、享楽的>
  • ラザロ<「神が助けられる人」の意味>貧しいが、」信仰の人。御使いによって天上に連れられて行った。

2)主イエスが伝える<死後の世界と生前の生き方の繋がり>

  • 金持ち<自己中心、死後も人を利用しようとする。律法に聞かない>
  • ラザロ<生前は金持ちの食卓が遠くに見えただろう。しかし、生前も死後も彼にとり、アブラハムの懐=信仰者が、神の愛の内に憩う場所は近かった!>

3)アブラハムの懐(天国)と死後の苦しみの世界(陰府)の決定的な違い

  • 超えられない淵がある
  • しかし、生前の行き方との連続性がある。ラザロ(神が助けたもう人の意味)の信仰と「金持ち」の<律法に聞かない生き方>を比較。
  • <御言葉に聞き、生きる大切さ>生ける神の御言葉は、主イエス・キリスト

御言葉は、近くにいる人の苦しみを示す。また、神に悔い改め、罪の赦しと具体的な御言葉に従う道へと日々、導いてくれる。私達は、この御言葉に、日々、導かれ、「天」を近くに感じているだろうか。

究極的には、ラザロが指し示していた生き方は、主イエス・キリストに繋がる。ラザロの苦しみに重なる「私のために苦しまれた主イエス・キリストの苦しみ」を身近に感じているだろうか。

この御方の苦しみを我が為と思い、信じ、受け入れ、告白するときに、人は、「アブラハムの懐」に近くなるのです。<キリストを信じる信仰を通して、アブラハムの信仰の子孫にされる>

4)約2000年前の今日、復活されて、天の父なる神様の御下で憩うアブラハム達、信仰の父祖の家族に迎え入れて下さる、主イエス・キリストの永遠の命の呼びかけに聞こう!そこに「ラザロ」のように、主によって御父の懐に運ばれて憩うことの出来る道が開かれます。主イエス・キリスト御自身がその「道」になってくださったのです。

罪に堕ちた人の心は鈍感。恐怖や奇跡では回心しない。真の聖霊の呼びかけに、悔い砕かれることが必要。罪の裁きを身代わりに受け、甦られた主イエス・キリストを信じる人は、この御方によって、滅びから、天上の憩いの場と永遠の命が約束される。

そして、ラザロのように、後に続く多くの人々に、「天につながる」救いの道を、信仰を通して証しすることになるのです。

唯一の救いの根拠となられた、救い主、主イエス・キリストこそが、天と地の架け橋。滅びの淵から私たちを救い出し、甦りの希望、天上の御父の御前に永遠の祝福の中に休ませて下さる御方です。永遠の命の世界への架け橋となられた主イエス・キリストの招きに、与りましょう。

礼拝メッセージ:坂井純人牧師